ウィズコロナの世界なんて来ない

ウィズコロナの世界なんて来ない

いまは「ウィズコロナ」とか「アフターコロナ」とよく言われます。

けれど、そのような社会環境はあと8ヵ月ていどで終了すると弓削は考えています。

なぜなら、そんな必要がないことに、あるときみんなが「あっ」と気づくからです。

 

本記事では、どうしてそのようなことが言えるのかを説明していきます。

 

なぜ新型コロナウイルスは怖いのか

コロナウイルスが恐れられる理由は、いまのところワクチンも特効薬もないからです。

そのため、ロックダウンや移動の自粛、飲食店の営業時間短縮を余儀なくされてきました。

現在、新型コロナウイルスによる国内死者数は1,028人。

一方、ワクチンも特効薬もあるインフルエンザの年間死者数は近年、3,000人前後です。

どう思いましたか?

ワクチンも特効薬もないコロナで死ぬ人が1,000人。

ワクチンも特効薬もあるインフルで死ぬ人が3,000人。

どちらの病気が深刻でしょう? 恐れるべき疾病でしょうか?

 

自粛しないスウェーデンの実験

もうひとつ、比較してみます。

ユニークな対策で知られるスウェーデンは、経済活動での自粛はゼロです。

しかも80歳以上の罹患者には治療をしない。

70歳以上でも、基礎疾患がある患者にはやはり治療をしません

以上の施策によって感染者数や死者数はどうなっているかというと、同じような規模の欧米の国々や都市と比較して変わらないのです。

さらに意外なのは、経済的自粛をしないスウェーデンのGDPのマイナス度合いは各国と同等なのです。

つまり、自粛をしてもしなくても、感染者、死者、経済損失のいずれもが不変だというわけです。

 

クルマも入浴も犯罪ではない

日本国内の死者数でいえば、よく引き合いに出されるのが交通事故です。

昨年2019年の交通事故死者数は3,000人台です。

かつてに比べれば減りましたが、何千人もの人命が確実に失われる「クルマ」というものをやめよう、ということにはなりません。

じつはもっとひどい数字がありまして、それはお風呂です。

浴室で死亡する人は年間1万9,000人ほどにもなります(転倒事故やヒートショックなど)。

「年間2万人も死ぬ行為を、法律で禁止しないのか?」

とは、それでも誰も言い出さないですね。

 

マスメディアは恐怖を売る仕事

逆に、テレビがワイドショーで報じているのは「今日は何人、感染した」「世界の死亡者数が何万人に達した」という恐ろしいニュースです。

どんなネタでも、テレビなどのマスメディアは強めのネガティブを販売するもの。

深刻なあおりを入れるほど、視聴率を稼げると考えているのです。

私自身も、NHKの「若者にも深刻な後遺症」キャンペーンはちょっとしびれました。

テレビや新聞情報にしか接しない人は、どうしても新型コロナウイルスはペスト並の恐ろしい感染症であると信じてしまうのもムリはないのです。

そして、そうした人たちは選挙にきちんと行く人たちなので、その感覚を政治家も尊重せざるをえません。

 

根拠は医学・統計学ではなく哲学

以前にも投稿しましたが、未知のウイルスを前に、医学者も統計学者も何が正解かを知りません。

なぜ東アジア系の民族は感染しづらく、感染しても死亡率が低いのかという疑問にすら、誰も答えることができません

そのていどの知見を基に実施される経済的な自粛や対策は、医学や統計学、民俗学ではなく哲学なのです。

死亡率は低い疾病だが、亡くなる人は一部に確実にいる

その人たちのために、全員が自粛しなければならないのです。

 

哲学の設問にポリコレで答える

この態度選択は、哲学の設問とよく似ています。

マイケル・サンデル教授の白熱教室で問われた「トロッコ問題」と同質なのです。

トロッコ問題とは、「暴走する列車の前方に5人の作業員がいて、このままだと轢殺されてしまう、ところが途中の転轍機を操作して別の線路に導けばその先にいる1人の作業員を殺すだけで済む。どうするべきか?」というものです。

何もしなければ5人が死ぬ。

ところが意志を持って進路を変えれば、意図的に別の1人を殺すことで5人を救える。

どちらが正義か? とサンデル教授は迫るのです(設問のオリジナルは哲学者フィリッパ・フット女史)。

 

あるいは、このような問題はどうでしょう。

テロリストが自国の人質1人をとって武装している

この1人を救うために10人の特殊チームを編成して突撃をする。

反撃に遭って3人は死ぬが、人質は奪還できた──。

合理的に考えれば、何もしないほうが被害は少ないのです。

しかし、それでは人心や世論が許しません。

社会性のある人類とは、合理的ではない行動(政治的に正しい選択=ポリティカル・コレクトネス)をとるものなのです。

 

過半数が気づくのはいつなのか

以上のようなことに、国民(地球人?)の過半数が思い至ったとき、突然に自粛は終了します

昨年あたりで、誰もSARSやMERS、AIDSに感染する前提で生活していなかったのと同じ状況になるのです。

補助的にいえば、集団免疫を獲得する可能性もこれを助けます。

そのタイミングは、人心にも拠ることなので予想は困難です。

今年の10月、11月ころでも地球上がいまと変わらない感染状況と受け止め方であれば、東京オリンピックは中止にせざるをえません。

個人的には2021年の春ころには、人心が切り替わっているのではないかと予想していますが(これが8ヵ月後です)、わかりません。

 

それでもリモートなどの影響は残る

多くの識者が唱えています、

「もう世界は変わってしまい、今後はコロナの恐怖がつきまとう「ウィズコロナ」の時代となるのだ」と。

……あなたはどう思いますか?

弓削は、「ウィズコロナ」など、すぐに過去のキーワードになって消え去ると考えています。

とはいえ人心が切り替わっても、便利な「リモート」は残ります。

ビデオ会議や出勤しない態勢、また工場の生産設備の遠隔操作・監視などは進展していくのです。

新型コロナウイルスは、結果的にAIやIoT、DX、VR・AR、キャッシュレスなどの普及に大きく貢献するのです。

これは、とてもポジティブな影響であるということができますね。

ということで、あなたの会社や事業部がビジネス領域を検討するとき、コロナウイルスによって残る影響と消える影響とを峻別しないと、進路を誤ることになるのではないでしょうか。

 

 

 

製造業のマーケティングコンサルタント、弓削 徹(ゆげ とおる)でした。

 

本コラムは、ものづくりの現場での気づきや日々の雑感、製造業のマーケティングや販路開拓に関するノウハウなどをお伝えするものです。 お気づきのことやご質問、ご要望などがありましたら、お気軽にメッセージをお寄せください。

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